秀頼は公家風の教育を受けていたと言われ、伝存する筆跡は高い評価を受けている。現在、一部で小柄で文弱なお坊ちゃまの少年というイメージが出回っているが、実際は身長6尺5寸(約197cm)、体重43貫(約161kg)の並外れた巨漢であったと伝わる(イメージ的には、現代の大相撲力士・貴ノ浪とほぼ同格の体格である)。家康が二条城で秀頼と会見した時に、秀頼の巨体からかもし出されるカリスマ性に恐怖し、豊臣家打倒を決意したと記録するものもある程、武将としての威厳はあったとされている。この点は近年のドラマ、舞台などでは忠実に再現され、舞台『SANADA』、大河ドラマ『葵徳川三代』などにおいて成人後の秀頼は身長の面で大柄な役者が演じている。特に後者においては大鎧を着用した姿も描かれ、大柄であったことが強調されている。体重の面を「忠実に」再現した役者となれば、『春日局』での渡辺徹がその代表である。
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このため身長が5尺(約152cm)も無いと言われ、平均身長が現在よりかなり低かった戦国時代においても「小柄な武将」として有名だった秀吉の実子かどうかが疑われる一因になっている。ただし、祖父・浅井長政や祖母・お市が長身だったことを考えると、秀頼が大柄でもなんら不思議はない。
顔は天然痘の後遺症である痘痕が残っていたとも言われる。
妻である千姫との仲は良かったらしい。しかし、二人の間に子供は出来ず、秀頼の側室の子供を養子とした。
蒲鉾が大の好物であったという。
江戸時代に作られた秀頼の伝記『豊内記』では「秀頼公は太閤の遺言に従い、天下の実権を征夷大将軍家康公に執らせて、大坂城に蟄居していた。礼を重んじて義を行い、聖賢の風を慕い凶邪の念を去り、私欲を哀れんで民を哀れみ、国家が豊かになることのみ朝夕念じておられた。故にこの君が政を執っておられたなら、日本に二度延喜・天智の治が現れただろう。人々は大干ばつに雨をもたらす雲を望むが如く、秀頼の政治を待ち望んでいただろう」と描かれている。
また日本研究家レオン・パジェスの著書『日本切支丹宗門史』の中で「秀頼が失敗したのは彼の頑固な迷信のためで遺憾とするに当たらない」と評している。